四分間 一名学振面接記

過日、日本学術振興会特別研究員DC2の採用内定通知を得、大勢の知友より賀詞を忝《かたじけな》くした。ここに御礼申し上げるとともに、国費を給せられる身として心新たに学を修めてゆきたいと思う。

日本学術振興会は昭和七年、時の帝より文部大臣に御下賜せられた資金をもとに財団法人として発足し、現在は独立行政法人となっている(*1)。その予算の99.9%は国からの交付金及び補助金等より醵出せられている(*2)。通称「学振」の名で呼ばれる特別研究員制度は、選抜せられた若手研究者を助成すべく、DC1は博士課程一年次より三年間、わたくしの申請したDC2は二年次以降の者に二年間、糊口の資として月額20万円、研究費として年額150万円以内を給する制度である(*3)

申請書を大学に提出したのが五月、第一次選考の結果が出たのが九月末、大部分はここで採否が決するのであるが、一部は面接候補となり、面接を経て内定・補欠・不採用に選別される。わたくしも九月末に面接候補となった旨通知を受けたのである。面接は十二月上旬であった。

わたくしの属する区分の人文学はもともと申請者が少ない故、面接に回るのもいきおい僅少となる。そこでわたくしがいかにして面接に臨んだかを記し、大方の参考に供したい。

面接というも、その実は研究発表に近く、DCの場合以下の三点をノートパソコンを用いて説明せねばならない(「面接における注意事項(PD・DC)」に基づき要約)。

 (1)これまでの研究状況
 (2)今後の研究計画
    受入研究室の研究と申請者自身が取り組む研究との関係
    申請者自身のアイデアやオリジナリティー
    研究の課題(問題点)及び解決方法

制限時間は四分である。然る後、審査員との質疑応答が六分間、合計十分間にて命運が決するのである。

上記の条件を満たしながら、自己の研究の過去・現在・未来を述べ、必ずしも専門を同じくしない審査員に分かりやすく伝達することがいかに困難であるかは容易に想像できるであろう。

わたくしはこれまで発表・弁論等の場に立つこと比較的多く、時に諸外国語でも行ってきたが、全く我流であって、明確な方法論は無かった。しかし今度ばかりは常道を知るべきであると考え、恰もこの十月に発兌《はつだ》せられた書籍『直前30日で9割仕上がる 神尾雄一郎の プレゼンテーション・ディベート』を手に取った。著者の神尾氏は母校の先輩であると同時に私塾・原典研究所の先輩でもあり、この道にかけては最も身近な有識者である。本書はAO入試や推薦入試を受験する高校生向けに書かれているが、それだけに平易・簡潔に極意がまとめられている上、内容面でも商用の対策本よりは学術的発表に応用しやすい。また何といっても実例が豊富であって、プレゼンテーションは十の論題それぞれに対し、やや不足ある発表と範とすべき発表との例を載せ、更に注目すべき点について注記を加えている。ひとまず本書を通読し、神尾流を意識してスライドを作成し、発表の練習を試みた。

ところが、全く上手くゆかない。原因の一つは、原稿を作らなかったことであろう。わたくしは研究発表の際、原稿は用意せず、とりあえず試行を繰り返して、時間内に過不足なく説明できるようになるまで練り上げてゆくのであるが、今回はその方法が通用しないように思われる。そしてやはり制限時間が短いことが大きい。神尾流に従ってロードマップやラベル【*1】を設けても、それを口に出して述べるだけでそれなりの時間を消費する。またわたくしは普通に話すと「何々であります」「何々でございます」という調子になるため、ただでさえ間延びしてしまうのである。話し方も含めて予め原稿の形で固めておいた方がよさそうである。

そこで原稿の作成に取りかかった。文字数と、どこまで話すと何秒かかるかを一目瞭然たらしめるため、原稿用紙を用いる。一分間あたり約三百字と考えれば三枚に収めるのが理想的である。しかしこれでも、三枚を優に超過してしまう。

プレゼンテーションが破綻するのは、大抵話題を詰め込み過ぎることによる。それは禽獣が毛を逆立てて体を大きく見せようとするが如きもので、所詮は自分の卑小さを隠蔽せんとする空しき試みに過ぎず、また聴衆への配慮に欠けている。話題を広げすぎて浅薄な議論に終わったり、時間に迫られて早口になり、分からせることではなく読み上げることそのものが目的となったりするよりは、腰を据えて一事を丁寧に論じた方がよい。しかし今回の場合、言うべきことが指定されており、申請書に記した研究概要を説明するのであるから、最低限説明すべき内容が既に多いのである。且つ事が学術に関わる以上、不用意に単純化して正確さが損なわれてはならない。この艱難《かんなん》をいかにして切り抜けるべきか。

このような時、わたくしは敬愛する文人の著作を読んで霊感を求めることにしている。わたくしは漫ろに荷風先生の『麻布襍記』を披《ひら》き、「十年振 一名京都紀行」を音読した。四分間でどこまで読めるか見てみようというのである。するとどうであろう。四分間でいかに豊かな情感が胸中に生滅することか。四分間のうちに、読む者は時の流れを上り下り、汐留のステーションを出で立って、或いは祇園祭の華やぎを見、或いは島原へ、或いは鴨川へ、或いは白川へと誘われる。四分は短いどころか贅沢の極みである。最初の数秒で既にわたくしの心は酔わされてしまったのだ。

彼も四分、此も四分、しかもその差歴然である。文章であるとはいえ、これだけのことが表現できるのだ。考えてみれば、噺の名人なら四五分の枕で爆笑を巻き起こすであろう。漫才師なら四分のうちにツカミもオチも美しく決めるであろう。役者であれば、一人の生老病死さえ四分間で演じ尽くすことができるかもしれない。

表現が内容を豊かにする。ならば、わたくしの武器である文体で勝負するしかない。それでこそ人文学徒への投資を求むる言語となり得るであろう。

ここにおいて、神尾流の正道からはやや外れるが、プレゼンテーションと見せかけて実は演説であるような発表原稿を新たに書き始めた。

ロードマップはひとまず示さねばなるまい。そこで表紙のスライドの下部を目次とし、

 1. 研究の背景
 2.1 研究の方法
 2.2 研究の特色
 2.3 受入研究室との関係

とし、口頭では

 「始めに研究の背景を、続いて方法、特色、受入研究室との関係の順で申し述べます」

というように、多少省略した言い回しとした。

然る後本論に移るが、書き出しの一文は工夫を要する。敢えて大風呂敷を広げて

 「蓋し、モダリティ研究は言語学のフロンティアであります」

と語り起こした。「蓋し」と言ったのは、発表中で言及する修士論文の主題が「蓋(けだし)」という語であったので、伏線を張ったのである。「蓋し世は必ず非常の人有りて、然る後非常の事有り、非常の事有りて、然る後非常の功有り」(『史記』司馬相如列伝)の如く、談話の始めに用いられることがあるから、拙文のはある意味由緒正しき用法である。

本論では概念の定義や論文の結論など、正確を期したい事柄は画面上に文字化し、目で見て理解してもらうようにし、それを読むのに要するであろう時間は、その内容を話すのではなく、寧ろ論文執筆時の個人的な感慨といった、脳に負担のかからぬことを述べることとした。かくすれば伝える内容を増すことができる。

その他、ラベルは字数を揃えて整斉ならしめ、一方説明ではわざと対句を破るなど、修辞に意を用いた。

そして最後は

 「古《いにしえ》の言葉を後世に引き継ぐこと――これがわたくしの志であります」

と締めくくった。

かくのごとくにして我が演説は成った。当日の様子、殊に質疑応答の模様についても記すべきであるが、記事は既に冗漫に過ぎている。別に機会を設けたい。ただ質問は誠実にして建設的であり、短いながら意義有る対話となったことを付言しておきたい。

落第の素質も、今回は鳴りを潜めたようだ。


*1 ロードマップ:何をどのような順番で話すかを示した目次の如きもの(神尾前掲書45頁)。ラベル:要点を示した見出しのこと(同書46頁)。


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