開設の辞
このたびブログ「憑虚楼集」を開設するにあたり、これを思い立った所以を述べ、既見・未見の友へ贈る挨拶とする。
十一月末の或日の明け方、突如として心臓がひとたび強く拍つや、頭に熱風を浴びたように感じ、驚いて蒲団を撥ね除けた。暫く牀上に坐して様子を見ていると、今度は却って冷感が体を下りてゆくのを覚えた。二年前にも同様の事があったのを思い出して血圧を測ってみると、血圧著しく低く脈拍極めて遅い。かくするうち、五体ますます寒く戦慄やまず、目は霞み吐き気に苦しむようになった。結局病院に運ばれ、種々検査の結果、医師曰く、これ自律神経の不調より来たるもの、半ば病気で半ば体質、生活を改めれば殆どの人は治るが、たとい薬を服すとも生活を改めなければ痊《い》えぬであろうと。
十一月は故あって心を労すること多く、加うるに月末は陰雨霽《は》れず、一週間ほど胸のあたりに曖昧な違和感があったのだったが、終に発作に至ったのである。
生活を改めよ――二年前は俳句に罷弊しており、卒倒しかけた後は、能う限り時間を自分のために費やし、生活を楽しむよう努力することとした。それからは心身ともに軽快となり、風邪に冒されることすら少なくなった。しかし再び生活の改善を迫られることとなった。
二日ほど病褥に臥して無為のうちに過ごした。ところでモンテーニュは、齢三十八にして挂冠するや、来たるべき閑適の生活に胸を躍らせていたが、いざ公事を脱してみると、解き放たれた精神は狂ったまま「茫漠たる想像の原野」に身を投げ出すことになってしまった。耕されていない畑は、それが肥沃であれば千万の無益な雑草に満たされてしまう、と彼は言う。まことにそうである。そしてその精神の狂態を書き留め、いずれ精神に恥をかかせてやるべく、彼は『エセー』を書いたのであった。
思えば、この二年間は、敢えて時間を浪費して過ごしたのであった。放蕩は二十代の特権と思ったからである。但し我が放蕩は午前中を寝て過ごすという形をとった。これは「睡り足る」と言うに相応しいものであったが、終身起床の時間常ならず、恐らく神経を狂わせるに十分だったであろう。そして言うまでもなく、夢中に在る半日の間、わたくしは何を為したわけでもない。
今ふたたび倒れ、わたくしはなるべく就寝起床の時間を一定ならしむることとした。これにより、今までは夢幻郷に遊んでいた半日も現世に身を置くこととなった。この数時間をいかに用うべきか。
ここにおいてわたくしは、この時間を読み、書くことに捧げ、これによって得たものを、概ね週一回を期して読者の御覧に入れようと思う。天の与えた時間と、精神と肉体とに対し償いを為すべく、ここに「憑虚楼集」の編纂を始める。
令和元年十二月八日 柯北漁史識
【参考】
保苅瑞穂『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』講談社(講談社学術文庫)、2015年
Michel de Montaigne, Les Essais (Livre premier), Librairie Générale Française (Le Livre de Poche), 2002.
十一月末の或日の明け方、突如として心臓がひとたび強く拍つや、頭に熱風を浴びたように感じ、驚いて蒲団を撥ね除けた。暫く牀上に坐して様子を見ていると、今度は却って冷感が体を下りてゆくのを覚えた。二年前にも同様の事があったのを思い出して血圧を測ってみると、血圧著しく低く脈拍極めて遅い。かくするうち、五体ますます寒く戦慄やまず、目は霞み吐き気に苦しむようになった。結局病院に運ばれ、種々検査の結果、医師曰く、これ自律神経の不調より来たるもの、半ば病気で半ば体質、生活を改めれば殆どの人は治るが、たとい薬を服すとも生活を改めなければ痊《い》えぬであろうと。
十一月は故あって心を労すること多く、加うるに月末は陰雨霽《は》れず、一週間ほど胸のあたりに曖昧な違和感があったのだったが、終に発作に至ったのである。
生活を改めよ――二年前は俳句に罷弊しており、卒倒しかけた後は、能う限り時間を自分のために費やし、生活を楽しむよう努力することとした。それからは心身ともに軽快となり、風邪に冒されることすら少なくなった。しかし再び生活の改善を迫られることとなった。
二日ほど病褥に臥して無為のうちに過ごした。ところでモンテーニュは、齢三十八にして挂冠するや、来たるべき閑適の生活に胸を躍らせていたが、いざ公事を脱してみると、解き放たれた精神は狂ったまま「茫漠たる想像の原野」に身を投げ出すことになってしまった。耕されていない畑は、それが肥沃であれば千万の無益な雑草に満たされてしまう、と彼は言う。まことにそうである。そしてその精神の狂態を書き留め、いずれ精神に恥をかかせてやるべく、彼は『エセー』を書いたのであった。
思えば、この二年間は、敢えて時間を浪費して過ごしたのであった。放蕩は二十代の特権と思ったからである。但し我が放蕩は午前中を寝て過ごすという形をとった。これは「睡り足る」と言うに相応しいものであったが、終身起床の時間常ならず、恐らく神経を狂わせるに十分だったであろう。そして言うまでもなく、夢中に在る半日の間、わたくしは何を為したわけでもない。
今ふたたび倒れ、わたくしはなるべく就寝起床の時間を一定ならしむることとした。これにより、今までは夢幻郷に遊んでいた半日も現世に身を置くこととなった。この数時間をいかに用うべきか。
ここにおいてわたくしは、この時間を読み、書くことに捧げ、これによって得たものを、概ね週一回を期して読者の御覧に入れようと思う。天の与えた時間と、精神と肉体とに対し償いを為すべく、ここに「憑虚楼集」の編纂を始める。
令和元年十二月八日 柯北漁史識
【参考】
保苅瑞穂『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』講談社(講談社学術文庫)、2015年
Michel de Montaigne, Les Essais (Livre premier), Librairie Générale Française (Le Livre de Poche), 2002.
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