言語不通の屈辱(再録)

月曜以来、流感のために全く読書を廃していたため、以前Facebookに投稿して好評を得た文を再録して責を塞ぎたい。

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山手線の中で本を讀んでゐたら、隣に坐つた御老人に話しかけられた。

「失禮ですが中國の方ですか」
「いえ、日本人です」
「これは失禮しました。漢語史の本を中國語でお讀みだつたものですから。しかし中國語は難しいですね。中國で客員教授をしたことがありますが、讀みはしますけれども、發音が惡いのでせう、話しても通じませんでした。私は横文字ばかりの人間ですが、言葉が通じなかつたといふ屈辱はこれが初めてです」と、さらりと凄いことを言ふ。
「そちらは中國人の著作ですか」
「いえ、京大の先生が中國語でお書きになつたのです。主に音韻の話で、『切韻』あたりから始まつて今やうやく清朝まできました」
「さうですかさうですか。私は比較文學のはうですが、中國の研究を見ますと、訓詁の學は實に重厚ですね。しかし文學論になると途端に柔軟性をなくしてしまつて、例へば陶淵明を論ずるにもファクトがどうのかうのとこだはる。しかし文學に於いてファクトがそんなに重要でせうか。李商隱なんかを論じたら日本人の方が餘程巧みです」 
「確かに中國では本文校訂など極めて細かくやりますね」
「ええ、ええ。時に大學院生でいらつしやいますか」
「東京大學の大學院です」
「さうですかさうですか。私の弟子が二人東大で教授をやつてゐます」と云々。
「語學研究は人は少ないけれども、今後益々有用の學となるでせうから、どうぞ頑張つて下さい」とのお言葉を頂いて別れた。

因みに、これは別の方だが、以前『源氏物語』を讀んでゐて「ほほう、原文で『源氏』ですか。大したもんですな」とか何とか話しかけられたこともある。

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