黒い楽しみ

わたくしが驚いたのは、利休好みの器に黒が多いことである。数の上で真に多いかは別として、松屋の会場を出た後も網膜から離れなかったのはあの黒である。殊にあの万代屋黒《もずやぐろ》の立ち姿である。

「見て下さいよこれ。どう思われます。」
晴海通りの道端で、わたくしは癸氏に茶碗の図版を示した。

「茶の湯の展覧会だから勢い御婦人が多くなりますが、美服を纏い妍を競う皆々様がこういう器をどうご覧になるのか、興味深いものがあります。こういう器を喜ぶのは完全に男性的な感性だと思うんですがね。」
「まあ男は黒が好きですからね。」
「利休は黒が好きだったんですかね。ともかく、これなんぞは厚手の背広を着てすっと立っているような印象を受けます。という話をさるお方にしたら、古くて仕立ての良い背広を着てしかも古びない中年の紳士といった感じでしょうか、とのことです。なるほどそのように映るなら女性の感性に訴えるものがあるかもしれません。そんなわけでこの黒のスラックスを買ってみました。
この頃は人に会うたびにこの黒楽茶碗の図版を見せては意見を徴しているんですが、でもやっぱりこれを良しとする女性は相当の見手《みて》じゃないでしょうか。これに惹かれる娘さんがいるとすればただ者ではありませんな。一方で前にブログに出てきた後輩は、黒い建築を設計したというのでこの写真を見せたら、やはり良いと言っていました。そいつとも黒をめぐって一議論しましたよ。」

癸氏と訪れたギャラリー(*)ではインタビュー映像が絶えず流されていて、老人が鉛筆と定規とを操りながら関西弁で弁じている。最後に彼は、人の心にいつまでも残り続けるのは光ではなく闇の方だ、というようなことを言った。陰翳派のわたくしは密かに心を躍らせながら展示室を後にした。

*https://www.akionagasawa.com/jp/exhibition/church-of-the-light/

参考文献
伊藤禮次朗・三笠景子[編]『利休のかたち 好み道具と「利休形」』淡交社、2020年。



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