狐と馬

今日は初午とて、後輩がその故郷の様子を収めた写真を見せてくれた。藁馬を載せた車を小さな子が曳いている。雪道である。信州名物道祖神の所に至ると女性から供物を受け取ってその前に供える。男性がそれを見ながら手を合わせている。お爺さんが写真機を三人に向けている。別の地区でもこの行事は広く行われているという。

初午は稲荷大明神の祭日でもあるが、その由緒はよく知らない。今日は稲荷詣でが出来なかったので、せめて狐の話を書いて油揚げに代えたい。話というのは『先哲叢談』が伝える伊藤仁齋の逸事である。

人有り狐の為に魅せらる。諸術 辟《さ》くること能はず。適〻《たまたま》仁齋の德 能く妖を服すと聞き、之を招請す。仁齋至る。口 未だ一言を吐かざるに、狐 慴服《せふふく》し罪を謝して去る。
有人爲狐所魅。諸術不能辟。適聞仁齋之德能服妖。招請之。仁齋至。口不吐一言。狐慴服謝罪去。

こんな話を書いては油揚げの代わりにはならないかもしれないが、儒者の徳もここに至れば申し分なかろう。古の人は、仁齋先生ならこういうこともしでかしかねないと思ったのであろう。学を修め徳を積み、終にかかる噂が立つ、ここに学者としての本領がある。売名は論外とするも、何事かを子孫のために遺《のこ》そうと思う人のためには、『先哲叢談』は好箇の文献である。先人が何をどのように遺していったか、それらがいかに多様であるか、領会することができるに違いない。

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