一年好景

講義に出ずに何をしているか。最も多いのは、大学へゆく電車の中で読む本の余りの面白さに、途中下車して好みの喫茶店に転がり込みそのまま半日を過ごすというものである。さほど多くはないが重要さにおいてこれに勝るとも劣らないのは、日和が良いので散歩するというものである。湿りすぎず乾きすぎず、風強からず弱からず、寒暖その宜しきを得ているような日は、天候の変化常なき我が国にあっては一年のうちそう何日もあるものではない。講義は毎週あるが、好き日は再び巡ってはこない。いずれをとるべきか、答えは明らかである。Carpe diem である。

しかしながら、かくのごとく真摯なる態度を持しているにも関わらず、名家の文中四季の景物を叙する段を見るたびに、自分は何を見てきたのかと悲しまざるを得ない。殊に過ぎ去った季節を描いた所を読むに、字ごと句ごと我が心に悔恨の種を植えざるものはない。自分はここに描かれている春ほどに美しい春を見たであろうか。そのような光景を見出す心を持ち合わせていたであろうか。結局来春を期することとなる。

漸く夏に入りつつある。一年のうち、わたくしの愛して已まぬ時間がまもなくやってくる。しばしば人に語っていることながら、今年もなるべく多くそれを記憶に留め置きたい。また幸いに記憶する機会に恵まれることを願う。

夏の夕暮れは全てを薄青く包み込み、コンクリートの林さえ炎熱に苛まれた一日の疲れを癒やしているようで、このときばかりは親しみを抱くことが出来る。わたくしは毎年このときを見計らってあてもなく街をうろつくのである。欠席の口実にはならないけれども。

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