神南坂涼風行合
季節は少し違うが、Facebookからの再録記事をお届けしよう。
神南坂涼風行合
じんなむざかかぜのゆきあひ
神南の細道を歩いて坂の勾配を堪能してゐたところ、見知らぬ男に聲をかけられた。
「すみません、僕はそこの十字路のところに自分の店を出してるんですが、お洋服の襟が英國風なのを見て思はず聲をかけてしまひました。良かつたら見ていつて下さい。」
この時は輕くあしらつたのであるが、しばらく歩くうちにふと思つた。
わたくしの着てゐる服は襟が左右非對稱といふ珍妙なる意匠である。左右いづれの襟を以て英國風と言つたのであらうか。
氣になり始めると氣になつて止まないので、あたりを巡つて男の影を探すと、依然として辻立ちをしてゐる。
「先程わたくしの襟を英國風と仰いましたが、どのやうな點が英國風なのですか。」
「はい、英國七十年代の洋服は襟に非常にこだはりを見せてゐるのです。」
「つまり、左右非對稱なところがさうだといふことですか。」
「はい、非常に珍しいものだと思ひますよ。」
「なるほど、これは古着ですから、もしかするとその年代の形式を留めてゐるのかも知れませんね。」
店までついて行つて話を聞いてみると、さすが反時代的な姿勢で、ファッション誌の取材は一切御免、縫製は本朝の職人に任せ、一つの意匠で二十着程しか作らず、消費主義を低く見てゐる。
「折角なので少しお付き合ひ下さい」とて、わたくしを着せ替へ人形にする。そして言ふことには、
「おお、これは良いですよ、カフェで實存主義とか讀んでゐさうですよ。わざわざカフェで讀まなくても良いのに、そこは見榮をはらないとね。」
實存主義は嫌ひではないので惡い氣はせぬが、澁い取り合はせでいかにもこだはりが見える。
聞けば、古典に學んで未來に末永く繋がるやうなものが作りたいのであるといふ。
「經濟は文化なのか。確かにさういふ側面はあるでせうが、服屋が十億稼いだとして、それはそれだけ經濟が回つたといふのでなく、その分の美意識を文化の中に積み上げたといふ風にしたいのです。服が個人に文化を與へるし、また街の風景もそれで變つてゆきます。」
「わたくしは東京の街を歩くのが好きなのですが、銀座を歩くのと淺草を歩くのとでは自づから服装が違ひます。尤も普段は横着をしてどちらでも通用するやうにしてしまひますけれども、それでもきちんと考へれば變つてくる筈ですね。」
「日本橋の百貨店にも上野の蕎麦屋にも入れて且つきちんとした格好は何か。かういふのはなかなか身に付くものではありません。」
「ところで英文學は讀まれますか」と訊くと、「勿論です」と言つて店の隅から本を持つてきた。英文學の他にもいろいろと讀むらしく、象徴詩が好きだと言つてはランボオを出し、ついでに『方法叙説』まで出してきた。
「あとはロシア文學が好みでトルストイはだいぶ讀みました。」
「わたくし日本文學では永井荷風が好きでして、荷風先生、フランスから歸つたばかりの若い頃は和服でしたが、四十五十になると完全に洋服になりました。街へ出る時は三つ揃ひに帽子を被り、傘を持つてゆくといふ。その荷風先生が「洋服論」といふのを書いてゐます。岩波文庫の『荷風随筆集』に入つてゐたかな。要するに何故日本人は洋服が似合はないかを論じてゐるのですが。」
「それは今まさに言へることで、海外のデザイナーによく言はれるのですが、日本人は器用だから作るのは上手い。しかし洋服が背負つてゐる文化は入れなかつた。今はライフスタイルが涸渇した時代ですが、洋服を着れば洋服の生活スタイルにならない筈がありませんよ。」
他にもさまざまな話を聞いたが、一つしかない試着室も空いたやうなので、「そろそろ元の姿に戻らせて戴きませう。」
辭去して澁谷驛へ向かふ間に、またふと思つた。カーライルの『衣服哲學』は讀んだのだらうか。今度訪れた時には訊いてみることにしよう。
2018年9月11日
神南坂涼風行合
じんなむざかかぜのゆきあひ
神南の細道を歩いて坂の勾配を堪能してゐたところ、見知らぬ男に聲をかけられた。
「すみません、僕はそこの十字路のところに自分の店を出してるんですが、お洋服の襟が英國風なのを見て思はず聲をかけてしまひました。良かつたら見ていつて下さい。」
この時は輕くあしらつたのであるが、しばらく歩くうちにふと思つた。
わたくしの着てゐる服は襟が左右非對稱といふ珍妙なる意匠である。左右いづれの襟を以て英國風と言つたのであらうか。
氣になり始めると氣になつて止まないので、あたりを巡つて男の影を探すと、依然として辻立ちをしてゐる。
「先程わたくしの襟を英國風と仰いましたが、どのやうな點が英國風なのですか。」
「はい、英國七十年代の洋服は襟に非常にこだはりを見せてゐるのです。」
「つまり、左右非對稱なところがさうだといふことですか。」
「はい、非常に珍しいものだと思ひますよ。」
「なるほど、これは古着ですから、もしかするとその年代の形式を留めてゐるのかも知れませんね。」
店までついて行つて話を聞いてみると、さすが反時代的な姿勢で、ファッション誌の取材は一切御免、縫製は本朝の職人に任せ、一つの意匠で二十着程しか作らず、消費主義を低く見てゐる。
「折角なので少しお付き合ひ下さい」とて、わたくしを着せ替へ人形にする。そして言ふことには、
「おお、これは良いですよ、カフェで實存主義とか讀んでゐさうですよ。わざわざカフェで讀まなくても良いのに、そこは見榮をはらないとね。」
實存主義は嫌ひではないので惡い氣はせぬが、澁い取り合はせでいかにもこだはりが見える。
聞けば、古典に學んで未來に末永く繋がるやうなものが作りたいのであるといふ。
「經濟は文化なのか。確かにさういふ側面はあるでせうが、服屋が十億稼いだとして、それはそれだけ經濟が回つたといふのでなく、その分の美意識を文化の中に積み上げたといふ風にしたいのです。服が個人に文化を與へるし、また街の風景もそれで變つてゆきます。」
「わたくしは東京の街を歩くのが好きなのですが、銀座を歩くのと淺草を歩くのとでは自づから服装が違ひます。尤も普段は横着をしてどちらでも通用するやうにしてしまひますけれども、それでもきちんと考へれば變つてくる筈ですね。」
「日本橋の百貨店にも上野の蕎麦屋にも入れて且つきちんとした格好は何か。かういふのはなかなか身に付くものではありません。」
「ところで英文學は讀まれますか」と訊くと、「勿論です」と言つて店の隅から本を持つてきた。英文學の他にもいろいろと讀むらしく、象徴詩が好きだと言つてはランボオを出し、ついでに『方法叙説』まで出してきた。
「あとはロシア文學が好みでトルストイはだいぶ讀みました。」
「わたくし日本文學では永井荷風が好きでして、荷風先生、フランスから歸つたばかりの若い頃は和服でしたが、四十五十になると完全に洋服になりました。街へ出る時は三つ揃ひに帽子を被り、傘を持つてゆくといふ。その荷風先生が「洋服論」といふのを書いてゐます。岩波文庫の『荷風随筆集』に入つてゐたかな。要するに何故日本人は洋服が似合はないかを論じてゐるのですが。」
「それは今まさに言へることで、海外のデザイナーによく言はれるのですが、日本人は器用だから作るのは上手い。しかし洋服が背負つてゐる文化は入れなかつた。今はライフスタイルが涸渇した時代ですが、洋服を着れば洋服の生活スタイルにならない筈がありませんよ。」
他にもさまざまな話を聞いたが、一つしかない試着室も空いたやうなので、「そろそろ元の姿に戻らせて戴きませう。」
辭去して澁谷驛へ向かふ間に、またふと思つた。カーライルの『衣服哲學』は讀んだのだらうか。今度訪れた時には訊いてみることにしよう。
2018年9月11日
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