『濹東綺譚』の季節

わたくしにとって夏は、『濹東綺譚』の季節である。毎夏この書を手にとるようになって、十年近くになるであろう。カミュが『ペスト』の中で、疫病裡の心理を叙して、一晴一雨の如き瑣事にも鋭く心が動くようになるといったことを書いていたように思うが、世上の喧騒は雲の如く我が心にも影を落としたと見えて、今年は『濹東綺譚』を読むにも一層季節の移ろいに着意したことであった。


まことに、『濹東綺譚』の妙処は季節と時間の選択に在ると言ってよい。


背景の描寫を精細にするには季節と天候とにも注意しなければならない。例へばラフカヂオ、ハーン先生の名著チタ或はユーマの如くに。


と述べた直後で


六月末の或夕方である。梅雨はまだ明けてはゐないが、朝から好く晴れた空は、日の長いころの事で、夕飯をすましても、まだたそがれやうともしない。


と書き始めるのは著者の遊びと自信とを示すものであろうが、「六月末の或夕方」から物語が動き出すことは甚だ重要である。男が玉ノ井に着いた頃にはやや夕闇も濃くなっており、とすれば夜の七時も過ぎていると思わねばならない。お雪の家に招じ入れられたのは八時頃でもあろうか。即ちそぞろ歩きにしては幾分遅い時間帯であり、場所柄それは当然であるものの、作中時間を示すのに数字を用いることがごく稀にしかないために、ややもするとこのことを見逃す虞《おそれ》がある。『濹東綺譚』は夏の夜の物語なのである。


夏の夕暮れから夜にかけてがわたくしの最も好む時間帯であることを以前書いたが、ことによるとこの物語の感化によるものかもしれない。夏の夕暮れは秋の暮よりも却ってはかない。それは事物の盛衰を一層強く感ぜしめるからであろう。実際の季節の進みからいえば、夏はこれから旺《さか》んになってゆくのであるが、この物語は明らかに、夏から秋への流れに重きが置かれている。それは人生のたそがれ、人生の夏の終わりを歌っているかのようである。作中にも引かれるピエール・ロティの『お菊さん』で吐露されている悲愁は、著者も主人公もともにこれを味わったに違いない。


私はそれを――若き日の夏をまだあといくつ望むことができるかを、数え始める。そしてそのうちの一つが逃げ去って、ほかの夏を、消え去った夏を、過ぎし事どもが積み重なる暗い底なしの深淵の中に見つける、そのたびごとに、私は一層沈んだ心地になる……


木村荘八の挿絵はこの暗愁を搔き立てて已まないが、臆測を逞しうすれば、敢えて佶屈聱牙《きっくつごうが》ともいうべき文字を用いて本作を名付けたのも、この情調を助けんがためではなかろうか。即ち「墨」字を内に忍ばせ、その上で対するに「綺」を――無論お雪を示唆する――を以てしたというわけである。幸田文が下の如き思い違いをしたのも無理はない。


おかしなことに私は、お雪さんを時々おすみさんと云ってしまう。雪と墨とは皮肉だと人が云うが、そんなことを云われては哀しい。隅田川は私がかぶきりの頃、初生り《はつなり》の胡瓜を流して河童さんへ御供養したときの、桟橋のとっぱなは透きとおった水だった。お花見時に葭簀張りのお茶屋がずらっと並んだ自分も、あの竹屋の渡しへ乗れば舟ばたは青かった。小学上級になって生意気に澄という字を覚えたからだろうが、ずっと私には隅は澄とおもう思いがある。衰えて今は救いようのない濁りを湛えた隅田川、泥水稼業のかなしいお雪さん、それはそっくり一ツの私のふるさとへの想いなのである。(*


「今の世には緣遠い濹字を用ひて」、つまり(「活動寫眞」の如き)「むかしの廢語をここに用ひて」「殊更に風雅をよそほはせた」のは、作者の色彩感覚のなせるわざといえよう。澄江ではなく、濹水でなければならないのである。もしこの物語を画巻にせよと言われたならば、――しかしあの夏の夜の薄闇、空と雲に漂う昼の名残、月と星の目覚め、雨の潤いをいかに描くべきであろう。わたくしはただ青墨を以てその文字を写すことしかできない。


(*)「すがの」、『荷風全集』附録十五号、中央公論社、195010月。多田蔵人編『荷風追想』(2020年、岩波書店)所収。


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