ヤフーオークション

ヤフーオークションに文徴明の書が出陳された時のことである。無論真筆ではない。江戸時代に日本で刷られた法帖であるが、精良な刻で、もととなった書もまた逸品であると思われた。わたくしはたまたま懐中暖かく、この書を得ようとしたが、ここに競争相手が現れた。互いに入札これ勉め一歩も譲らない。ややあって、わたくしは卒然として我に返った。そして改めて文徴明の人と芸術とを思った。


文徴明はわたくしが最も敬愛する文人であり、その書画は些かの俗塵をも感じさせることがない。九十年の生涯がまさに暮れんとするに及んでも、精力は衰えるどころかますます凛乎たる気魄を増し、清く厳しく温雅な人格がそのまま紙上に香っている。彼は名利のために筆を執ったのではない。時尚を追わず、科挙には終に及第しなかったけれども、天命に抗おうとはせずただその好む所に従った。下に引く話はその人となりをよく物語っている。


文徴明の書はたいへん偽物が多い。これは彼の書画が世間で重んぜられ、依頼者が引きもきらぬというのに、金さえもらえればいくらでも応ずるという人でなかった為に、生前門人の中にすら偽跡を作る者が多くいたということが伝えられている。そういうことを知っても、おそらく生活の足しになるからであろう。彼は厳しく禁ずることはしなかったという。当時、日本の使臣までが、書を求めてわざわざ彼の家を尋ねたことが伝えられている。彼は王侯顕貴の求めには応じなかったというから、そういう人々は、いかがわしいものしか手に入らなかったことであろう。(*


いかに支弁する余裕があるとはいえ、その勢に乗じてこれを得ようとするのは、文徴明の厭う所ではなかったか。且つこの作に眼を留めた、いわば同好の士から豪奪するようにして手に入れたとしても、内に省みて疚《やま》しきのみならず、作品の品位を落とすことにもなる。


わたくしは入札するのを止めた。徒に値を吊り上げてしまったことは謝すべき言葉もないが、かの書が無事いずこかの書斎において新たなる蔵弆者《ぞうきょしゃ》に鍾愛せられていることを願って已まない。


(*)書跡名品叢刊『明・文徴明 離騒/九歌他』二玄社、1963年、伏見冲敬解説。


行書陶淵明飲酒二十首巻(部分、京都国立博物館蔵)嘉靖33(1554)年、文徴明85歳の書。

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