生きている東京

 昨年冬、ワタリウム美術館の生きている東京展を見た。いずれも奇怪なる作品であるが、中でもわたくしの注目を惹いたのはある映像作品である。その説明に「緊急事態宣言中、渋谷の町ではポルターガイスト現象が起きていました」などとあって、なるほどそんなこともあったのだろうかと、暫く映像を眺めていた。自動販売機の横のごみ箱から空缶が飛び出す。道路上の「止まれ」の文字が白線を越えて進み出す。誰もいないスクランブル交差点を三角コーンが渡る。わたくしは脱帽した。


この町の開けて以来、かくも人気のなかったことがあっただろうか。この町を貸し切りの舞台に出来る機会を芸術家は逃さなかったのである。


他にもこの期間を思索と創作とに費やした作家がいた。また後に聞いた話では、この間に制作した作品全てに買い手が付いた作家もいるという。わたくしの知人も動画で書法講義を配信し始めた。これに対してわたくしは何を為したであろうか。僅かにヒンディー語の文法書を読み終え、『言語学大辞典』を千頁ほど読んだまでで、何かを生み出したわけではない。夏場には些か成し得たものもあるけれども、秋以降は胃病も手伝って、到底「良く生きた」とは言えなかった。年末には己の無為を恥じて、慣れぬラテン語でセネカの『人生の短さについて』を読み始めたほどである。そして大晦日、せめて文事に触れて年を送ろうと、王羲之の尺牘集を手に取った。

「喪乱帖」を選んだのに深意はない。しかしこれを臨模するうちに、胸中ますます悲愴の感の湧き上がるを覚えた。「喪乱帖」は父祖の墳墓が兵馬に蹂躙されたのを嘆く書簡である。世は異なるとはいえ、この一年もまた「喪乱の極み」であった。来し方を顧み、心の沈み込むままに筆を進めてゆくと、忽ちにして半切一幅が成った。時に夜の十一時半である。作の良否はさておくも、一つの記念にはなるであろう。そして何より、病疫猖獗の中、一つは作品を仕上げることが出来たのである。この時初めて令和二年を生きた感触を得た。


「生きている東京」とは、蓋し「死んでいない東京」の意であろう。緊急事態宣言中、東京は死んだようだとか、芸術はもう死んだとか、誰ともなく口にし、耳にしたであろう。そのような中、ワタリウム美術館は己の存在意義を篤と考えたのだと思われる。今回の展示は明らかにワタリウム美術館が主人公であった。美術館が町とともに歩んだ三十年間を振り返り、歴史を背負い、現在の作家の思いを受け止めて、東京と芸術は死んでいないと静かに語っていたのである。


令和三年は、わたくしが生きていることを多くの人に感じてもらえる年にしたい。


*画像出典:宮内庁ホームページ https://www.kunaicho.go.jp/culture/sannomaru/syuzou-01.html

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